「君の膵臓をたべたい」に、いちゃもんつけるモテナイ男の悲哀。
たーじぃ、今朝はまあばあどうたった?
おお、ぱみゅ代。微妙に熱が高くなってきているみたいで、心配じゃ。
そうか。朝は今までそうでもなかったんだけどな。
ぱみゅ代、夜は心配して覗いてくれてるそうで、ありがとうな。
まあ、オレは受験勉強のこともあったりで、夜型がちょっと習慣になっちゃってるから、気にすることねーよ。
ポカリ飲ませてあげたり、軽食作ってくすり飲ませてくれたり、ひえぴた貼ったり、いろいろとしてくれてるそうじゃのう。ほんとにありがとよ。
いやいや、たーじぃにそんなに改まって言われると、逆に気持ちわりーよ。まあ、昼間はママもおばあちゃんも居るし。夜はオレだろ、で、早朝はジジィになって朝がはやいたーじぃが居るから、ま、完璧だな。
ジジィだけ余計じゃ。
話変わるが、ようやっと、「君の膵臓をたべたい」を見たんだってな。そんで、ママにさんざん文句言ったらしいじゃん。ママが困ってたぞ。
だってぱみゅ代、タイトルが秀逸すぎて、期待が大きすぎたんじゃ。
まあ、そうだよな。このタイトルはほんとにすごいよな。
まさか恋愛映画にこんなタイトル付けるとはな。
ほんと、すごいよな。
たしか、なんとか殺人事件、とかいうタイトルの、まったく殺人事件とは関係ない小説とかもあったな。
まあ、まさに最初にやったもん勝ちって感じじゃな。
もう同じことはできないわな。
とかいって、たーじぃなら「君のこころを食べたい」とか恥ずかしげもなくでっちあげしそうだけどな。
なにいっちょる。
で、どうダメだったんだよ。いわゆる感動ポルノってことか?
いやいや、ぱみゅ代。
じぃはな、感動ポルノだからといって、嫌いとかダメとかいうつもりはないんじゃ。
だってそうじゃろ。
本当の元のポルノだって、いいものもある、わるいものもある、それにポルノだって、そのジャンルは多岐に渡り・・・。
あのな、たーじぃ。
レディーにポルノの講義をするな。二度と口きかんぞ。
う。いやまあ、そういうことで、あくまでじぃの嫌いなのは、ダメな感動ポルノじゃ。だって、極端なことをいいだしたら、感動ものは全部感動ポルノになってしまうしな。
で、これは、ダメな方だったと。
うむ。
もうまったくダメじゃ。
ほー。
まあタイトルが秀逸なことは、認めるが、じぃのようなひねくれものにかかれば、これが恋愛映画だと聞いた瞬間に、ああ、膵臓の悪い女の子を好きになって最後死ぬ話だな、ともう、全部の粗筋が分かるのじゃ。
中国の薬膳(やくぜん)にある「同物同治(どうぶつどうち)」という考え方だな。
ほっほ~。さすが医者を目指すぱみゅ代じゃのう。
その通りじゃ。
たーじぃはきっとマンガで知ったんだろ。
そうじゃ。「美味しんぼ」で・・・って、ちゃんとそれ以前からしっとったわい。
まあそういうことにしておいてやるから、それで?
やっぱり人間の生死、特に美少女の生死を扱うって、もう幼稚園レベルの感動ポルノだったなあ。
ひねくれもんのたーじぃらしい感想だな。
だれがひねくれもんじゃ。
まあ、あれじゃ、世界の中心で愛をさけぶ、というクソつまらん覚悟のカケラもない、幼稚園児が砂場で遊ぶような恋愛を描いた映画と同じレベルじゃな。
今、たーじぃは、全世界100億人の女性を敵に回しました。
ふん、もともとじぃの味方の女性なんか、片手ぐらいしかおらんからへっちゃらじゃ。
まあばあ、ママ、菜奈、おい、たーじぃ、片手も居ないけど、どーする?
ばか、ぱみゅ代と結衣さん(たーじぃの息子のお嫁さん、ぱみゅ代のおばあちゃん)もいるじゃろうが。
ほっほ~~。それはどうかなああ。
ふんっ。まあいい。
このドラマの決定的にあかんところは、主題が中途半端すぎるっちゅうことじゃ。
ほー。
大きな主題のひとつとして、
人間はいつ死ぬか分からない、それは病気と闘っている人も平等、
ということがあるんじゃけどな。
うん。
そんなもの、わっざわざ最後のデートの寸前にしなくてもいいじゃろ。
いいか、これは映画だぞ。
つまりウソの世界じゃ。難しくいえば虚構の世界。
実際にもこんな悲劇は山のようにあるじゃろうし、
悲劇、死んでカワイソウ、な話なら、山のようにある。
しかるにっっ。
わざわざ物語として描くからには、何かいいたいことがあるんじゃろう。
なにがいいかいのか?
最後のデートの時は、背後に気をつけろか?
人をばかにすんじゃねえっちゃうじゃ。
たーじぃ、落ち着け。
だから、だれもが人はいつ死ぬか分からない、その時その時を精一杯生きようってことだろうよ。
人は強くない。
実際、真実としてこうしてぱみゅ代と話している楽しい瞬間に、心臓発作が怒って死ぬかもしれない。
おかしな国が爆弾落とすかもしれない、強烈な地震が起こるかもしれない。
だがな。
人はずっと死を見つけて生きて行けるほどは強くない。
だれもが死に向って時間を過ごしてる。
はっきりと分からないから、観念として受け入れて生きることを充実させるのが関の山じゃ。
なんか、またメンドクサイことをいい出したな。
それをじゃぞ。
その苦しい死といやおうなく向き合い続けなければならない、もう余命いくばくもない重病の女の子の最後の希望、楽しみを、くっそくだらん当たり前の真実、誰もがいつ死ぬか分からない程度のことをいうためだけに、奪ってしまう、これが映画人のやることかっっ。
なんか、さっきから随分と混乱してること言ってるけどさ、
要するに、たーじぃの言いたいことをまとめると、
主人公を演じた浜辺美波ちゃんが可愛すぎて、いくら映画の中だけでも死ぬなんて耐えられない、と。
こういうことだな。
ぱみゅ代くん。
なんだよ。
そこに座りなさい。
さっきから座ってるが。
いったい、ぱみゅ代くんは、なぜ、医学部合格するぐらいの明晰な頭脳を持ちながら、じぃの話は理解できないのかな?
完璧に理解しているが。
どこがじゃ。
それとあれだろ。
どーせ、あんなネクラなやつがしぬほど可愛い女の子に好かれるのはあり得ないとか、イケナイことを映画の中でやらなかったから、浜辺美波ちゃんのラブシーンが中途半端だったとか、そんなことだろ?
ち、ちがうわ。
あのな、たーじぃ。
女の子はみんなそりゃイケメンが好きだが、たーじぃだってよく言ってるだろ。鑑賞するだけならかわいい子でいいが、それだけで好きになるとか、男なめてんのかって。
まったく、同じことをたーじぃにいうぜ。
イケメンだからって、それだけで本気で好きになるとか、女をなめんなっての。
だいたい、たーじぃからして、かわいいから浜辺美波ちゃんのこと好きなんだろ。
ばか、ぱみゅ代。
じぃはな、かわいいだけで浜辺美波ちゃんを好きなんじゃないわ。
その清楚とした雰囲気、かわいいだけじゃなく、さみしいも同時に表現できる演技力、そしてその優しくかわいい声、全て、総合的に好きなんじゃ。かわいいだけじゃないわ。
それで、その浜辺美波ちゃんが最後カワイソウな目にあったことが許せないと。
(黙って頷くたーじぃ)
そして、好きになった相手が、一見ウジウジ系のネクラのようだが、秘密はちゃんと守れる、一人でいることができる、自分の世界を持ってる、たーじぃの憧れをちゃんと体現してる、さらにはたまたまイケメンだったことが許せない、と。そういうことだろ。
(黙って頷くたーじぃ)
よしよし。
そうやって素直のところが、たーじぃのいいところだ。
そんなひねくれなくてもいいんだよ、たーじぃ。
ゆったりした気分で、映画を楽しめばいいんだ。
だって、たーじぃには、どんなことがあっても、ちゃんと片手分の味方が居るんだからな。
言わすな。